日常の問題から逃げて、万事解決までの道のり

今、母の介護保険の申請をしているのですが、その手続きの一つで、先日母のかかりつけ医に会う機会があって、そこで初めて母が『不安神経症』だというこを知りました。

元々、処方されている薬に抗うつ薬があるのは知っていましたが、それはてっきり他の薬の副作用を抑えるためだとずっと思っていたのです。

数年前から母の気分にムラがあり、それが激しくなっていました。

急に落ち込んだり、癇癪を起こしたり、その矛先が私に向かうので、どこで地雷を踏んだのか、なにが地雷だったのかわからず困り果てていました。

それで介護保険の申請を考えたわけです。

この申請をしていなかったらずっとわからずじまいでしたし、解決できなかったと思います。

本当につらかった…

申請をするまでは、母が癇癪を起す原因がわからず、でもどうもそれは私が原因らしい。

なぜなら、怒りの矛先が私に向かっているから。

そしてその状態が2~3日続く。

これが精神的にきつくて、数か月前までかなり追い詰められていました。

そのたびに私もいろいろと試みました。

いつもよりも明るく話しかけたり、母が好きな甘いものを買ってきたり、外出に誘ったり、気づかないふりして普段通りに接したり。

最終的には何が気に入らないのか、私の何がいけないのか直接聞きましたが、完全無視でした。

「気にしないでおこう」と思っても、癇癪を起した母が目に入るとどうしても気になる。

そもそもそれができるのなら、悩まないですよね。

同じパターンから脱する

悩み、追い詰められた結果、何とかこの状況を今より少しでも良くできないか?と考えました。

今までの「母の機嫌が悪くならないように」ではなく、「母の機嫌が悪くなっても私の精神的な負担が軽くなればいい」と、捉え方の向きを変えたのです。

それには「私自身がどう受け止めたらいいのか?」がわかればいい。

その時に一番優先するのは、そう思えないようなことを無理に思い込ませようとするのではなく、すんなりと受け止められること。

今までの同じパターンから脱するために根本を見ていかなくては、と思ったので、「なぜ私はこんなに精神的メージを受けるのだろう?」と考えるようになりました。

母が落ち込んだり癇癪を起すのは私が原因だから。

私は母を落ち込ませたり、怒らせたりする。
↓↓
そんな私は居てはダメ。
↓↓↓
私は存在してはいけないのだ。

こう思っていることに気づいたのです。

つまり、「自己否定」の極みの中にいたのです。

自己否定な思考を自然と手放すことができました

はっきりと意識していたのではなく、頭の中に「私は存在してはいけない」という言葉があったわけでもありません。

自分がそんなふうに思っているなんて全く気付いていなくて、「え⁉ウソでしょ⁉」と、自分で自分に驚きでした。

ただ、この「存在しちゃいけない」という思い込みに気づいたとき、気分がすっきりしたので、これが根っこにあったんだなと確信しました。

そうするとすぐに、「なんで存在しちゃいけないの?」

人を不機嫌にさせたり、怒らせたりしたかもしれないけど、それで存在しちゃいけないなら、私はどこへ行っても存在できないじゃないか。

なんてばかばかしい考えなんだ。

と、自然と考えを反転させることができました。

この時はまだ母が癇癪を起す原因=「不安神経症」だということは、わかっていません。

でもこの日以来、母の顔色をうかがったり、機嫌を損ねないかとビクビクしたりすることもなくなりました。

つまり、自己否定が消え失せてました。

人を変えるのではなく自分を変える

その後すぐに「不安神経症」だということを知ったわけですが、そこでまたもう一段階深く受け入れられたのです。

母は人より過敏に不安になる、または不安が大きくなっててしまう。

そういえば私も冷え性(症)で、人より寒がりだもんな…。それと同じようなもんか、と。

そんなことを思って、母に対する不安が消え、また気が軽くなりました。

そしてあるとき、母がまた癇癪を起し、その後激しく落ち込み、声をかけると滅多に泣かない母が今までになく激しく泣いてしまいました。

いつもなら、「また私、何かしてしまった」と思い、すぐに取り繕って挽回しようとして過剰に優しくするか、逆に落ち着くまで放っておくか、それが今までのパターン。

ですがその時は「不安神経症が発動した」と思ったので、背中をさすってあげました。

今までの私なら絶対とらない行動です。

母についてもう一段階深く理解できたことで、取るべき行動が自然とできたのだと思います。

もっと具体的に言語化するなら、「取るべき行動のアイデアが自然と出てきた」。

この日以来、不安神経症が発動することがめっきり減りました。

というか、今のところ出ていないのです。

もしかしたら母は今まで私のことを、敵のように思ってたのかもしれません。

癇癪を起すと私を完全無視するのですが、それは理解してくれないと思っているからなのでしょう。

まったくエステとは関係ないお話でしたが、私の中ではかなり大きな気づきで、

これからの人生に起こりうるあらゆる問題を、もしかしたらこの方法で解決まで導けるんじゃないかと思って、記録として残しておこうと思います。